D.T.I.ツアーズ

たまの旅日記



2023年 06月14日

パリのモンマルトルの丘の上に建つ、サクレクール寺院

こんにちは、猫のたまです。
紆余曲折の青春時代を送り30歳の時にヌエネンでも女性問題を起こし、家族とも不仲になったゴッホ。また、自信を持って描いた大作「ジャガイモを食べる人々」が全く受け入れられなかったこともあり、失意の中、オランダを後にし、アントワープの芸術学校に入るもやはり、長続きせず、パリへと向かいます。

サクレクール寺院近くで修道女たちがコーラを飲みながら歩いていました


モンマルトルは坂道が多いので、ケーブルカーで登って徒歩でブラブラしながら降りるのがおすすめ

ゴッホの家族の中では、唯一の良き理解者だった弟テオの、モンマルトルのパリのアパートに転がり込んだゴッホは、ここで多くの芸術仲間と出会い、さまざまな画法を習得していきます。オランダ時代に描いていた静物画が、自身の内面を表現するためのものだとしたら、パリ時代の静物画は間違いなく売るためのものだったそうです。その頃のパリでは、花の絵が流行り、そのような絵を購入する一定のマーケットが存在していました。パリ時代のゴッホの花の絵のほとんどには、ゴッホのサインがされている事からも、ゴッホが自分の絵を売る気満々だったということがわかります。

ゴッホの代表作といえば「ひまわり」。アルルでゴーギャンを迎えるために描いた、黄色い背景のひまわりの連作は有名ですが、実は、ゴッホがひまわりを描き出したのはパリ時代。19世紀後半のモンマルトル周辺にはひまわり畑が広がっていましたので、身近にある花だったのですね。当時は売れない画家同士で絵を交換する習慣があり、ゴッホのひまわりの絵はゴーギャンが気に入り、その後、ゴッホがアルルにゴーギャンを呼び寄せるきっかけにもなったのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)《盛りを過ぎた4本のひまわり》 
1887年 油彩 クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー
©︎ Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

しかし、パリのような大都会に次第にゴッホは疲れてゆき、芸術家が集まるカフェでアブサンという強いお酒を飲みまくり、心身ともに衰弱してしまいます。どんよりとしたパリの天気と都会の空気、そして、絵も全く売れず、思い描いていた理想と現実とのギャップは大きく、結局、パリでの生活に見切りをつけ、画商に勤めていた弟テオの援助を受けながら、光を求めて南仏を目指します。

ゴッホが好んで飲んでいたというアブサン。アルコール濃度が高いハーブ酒で、スプーンの角砂糖の上から水を少しずつ垂らして飲む


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たまのプロフィール

船橋にあるトラベルサロンの飼い猫で、親切な社長に拾ってもらいました。前職はヨーロッパのとある国の観光プロモーションの仕事を30年以上続けていた旅好き猫。ブログで旅日記を掲載中。

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